はじめに

生物数学・数理生物学という生命現象を対象にした数理研究に取り組んでいます。生物数学、数理生物学と呼ばれる分野は、生物学・生命科学の研究者と協働で進める分野横断・学際的な研究分野であると同時に、関連する数理科学諸分を深化させる研究も可能です。以下、これまでと今現在進めている研究を手法による分類、もしくは対象とする生物学分野毎にまとめました。

色々な分野の研究者と異分野融合を展開しています。生命現象で特徴的な時空間マルチスケール現象、設計図がなくても要素が寄せ集められることで自己組織的に創発する機能 (ブリコラージュ) に関する研究、生態系を規範として災害などの摂動に強いロバストなシステムを模倣的に構築 (エコミメティクス:生態系規範工学) する研究に携わっています。それぞれ定期的なミーティング含めて研究を進めています。単独のタブにまとめました。

 

対象による分類

生態学、発生学や時間生物学を中心に、さまざまな数理科学手法を応用した研究が行われています。中でも、ウィルスやバクテリアといった外敵の侵入を阻止する免疫系、ならびに細菌が作り出す微生物生態系に興味をもっています。また、生命現象は共通して分子・細胞・組織といった多階層間で相互作用がみられます。フィードバックや制約条件を組み込んだ低位階層の要素から高位階層の構築 (タンパク質の集合体としての生体膜など) は、多くの研究でも研究されていますが、高位階層の要素が低位の階層間相互作用ネットワークへ及ぼす影響、いわゆる階層間フィードバックについては系統立てて研究されていません。高位階層の個体から見た場合 (たとえば細胞)、低位階層の要素は個体のもつ特徴とみなせます。ある特徴において異質性をもつ個体の集団ダイナミクスは、生理的な個体差をもつ個体群モデル (physiologically structured population model: PSPM) として研究が進んでいます。PSPM は構造化個体群モデルとも呼ばれます。本研究では、構造化個体群モデルに関する研究も研究対象として含めています。

構造化個体群モデルの研究

生体内における個体群のダイナミクスを知りたい場合、最小単位である個体を細胞、感染症では人という風に対象とする現象に応じて個体を定義します。細胞、人それぞれをとってみても、実際には多彩な行動様式を示します。行動様式は、個体の内的状態の変化によって特徴づけられることがあります。細胞の場合は遺伝子発現状態、人の場合は心理的な状態を定量的に表現したものが対応します。生命現象を考察する際、個体の内的状態の変化も含めて考える必要性がしばしば生じます。年齢や体サイズを中心に構造化した個体群モデルが古くから生態学、人口学の分野で扱われてきました。本研究では、ウィルスや細胞を対象とした構造化個体群モデルを中心に数理モデリング、シミュレーション、数理解析を進めています。詳細はこちら

免疫系が主体の研究

感染症は発展途上国で未だに深刻な疾患であると同時に、エボラや鳥インフルエンザ等、いわゆる新興感染症も交通網が発達して人の人の移動が顕著な現代において重要な課題です。免疫系は、ウィルスやバクテリアといった感染を防御する機構として大変重要ですが、免疫系が正常に機能しないことで生じる疾患も存在します。これら免疫性疾患は自己免疫疾患や炎症性疾患、肥満や癌を含みます。このように現代・先進国が抱える新興感染症や慢性炎症に対して、原因の解明や制御に向けた数理手法の応用に主眼をおいています。具体的には、ウィルス感染動態の解析、癌の免疫療法に対する数理研究を中心に研究を進めています。詳細はこちら

微生物が主体の研究

微生長期培養・遺伝子操作技術の発達により、大腸菌はじめ様々な微生物をモデルとした進化実験が行われるようになっています。近年では、単一種の培養系による微生物の進化・適応実験のみならず、共培養系において社会性を示すような現象を実験で実証する研究も行われています。古くから捕食被食や競争・共生関係が個体群動態にもたらす影響を理解する上で、生態学では個体群数理モデルが活用されてきました。しかしながら、理論の検証は限られた実験系でのみ行われているのが現状です。複数種の長期培養・遺伝子操作技術を用いることで、これまで不可能だった生態系そのものの人工的構築やデザインが可能になると期待され、新たな理論研究の発展と検証も期待できます。とりわけ難分解性物質を協力して代謝 (共代謝・栄養共生関係) に着目し、微生物が示す社会性の理解や、社会性維持や破壊を制御して効率的な工業物質産生やバイオフィルムなど人体に有害な構造物を除去に向けた数理手法の応用に主眼をおいています。詳細はこちら

 

研究手法による分類

微分方程式や力学系理論が主体の研究

常微分方程式系、時間遅れをもつ微分方程式系の解の安定性については、Lyapunov 関数の構築や不等式を評価して解を漸近挙動を調べる方法、もしくは位相力学系の理論や力学系の分岐理論を応用して解の大域的性質や定性的な変化を解析してます。

数値計算・シミュレーションが主体の研究

数理モデルのシミュレーションや計算機を用いた数値解析、確率過程や確率微分方程式のシミュレーションを手がけています。

データ解析が主体の研究

実験研究者と連携し、実験・数理融合研究を中心に進めています。オミックスデータの解析にも着手しています。具体的には、統計モデルをベースにしたウィルス動態や遺伝子発現変動 (RNA-seq) の解析、細菌叢のメタゲノム解析も手がけています。

 

構造化個体群の数理モデル

生体内の細胞は遺伝子発現などを通じて分化・成熟し、機能的に異なる細胞へと変化する特性をもつ。細胞自身が質的に変化して集団にダイナミクスに影響するような状況を表現した場合、遺伝子発現といった細胞内部の状態変化と集団レベルでの相互作用を同時に記述しなければならない。したがって、本質的には2階層でのスケールの異なった挙動をまとめて取り扱う必要がある。体サイズや年齢、遺伝子発現状態など、個体の生理的な特徴を考慮した数理モデルは構造化個体群モデルと呼ばれていて、ユトレヒト大学の Odo Diekmann らによって数学的に基盤が整備されてきた。構造化個体群モデルは個体の質的な変化を記述できることから、生態学に留まらず人口動態や感染症の伝播を記述する数理モデルとしても利用されている。本課題では、たとえば遺伝子発現に伴う細胞の質的な変化と集団のダイナミクスといったマルチスケールを記述した数理モデルを開発し、主に免疫細胞の質的な変化・細胞分化が生体防御機構に及ぼす影響を調べる研究に応用している。

微生物共代謝の数理モデル

微生物は有機物の分解を通して生態系維持に重要な役割を果たしているが、多くの例でみられるように、有機物の分解は複数の種が関わる協働過程である。たとえばある微生物がグルコースを代謝するとアセテートが副産物として生じるが、アセテートをエネルギー源として利用(=資化)しないグルコース分解菌と、グルコースを資化せずアセテートを資化する微生物が出現することがある。このように、グルコース分解において2種類の異なる微生物が協働代謝、すなわち役割分担を行って有機物分解が進むような例が知られている。これを栄養共生関係といい、栄養共生関係によって微生物の多くは社会性を維持している。。物質循環の一部分を担う分解者としての微生物が生態系機能に果たす役割や、微生物を応用した有機物分解技術を発展させるためには、複雑な微生物生態系が維持されるために重要な関係性を理解できるような理論的研究が必要となる。本課題では微生物間の協働代謝がロバストに維持される基本原理の解明を目指し、人体に有害な難分解性有機物の微生物による分解技術や、腸内細菌の働きを利用した予防医学の発展に貢献することを目指す。

免疫系の数理モデル

免疫系は、体内に存在・侵入してきた分子が自己由来のものなのか、それとも非自己なのかを識別し、非自己を排除することで自己を監視・維持する生体防御の機構である。体内に侵入したバクテリアやウィルスといった病原体、花粉などの外来タンパク質、癌細胞の断片(ペプチド)は非自己抗原として認識され、免疫応答が活性化される。一方、自己抗原に対して免疫系は活性化されることなく、自己免疫寛容とよばれる状態が成立する。免疫応答はこのような自己・非自己の認識のみならず、感染部位における炎症の誘発・亢進、免疫関連細胞の誘導と抗原提示、抗原特異的な免疫応答(獲得免疫系)、二次感染に迅速な対応をする免疫記憶、過剰な免疫応答の抑制といった一連の過程からなる。抗原とリンパ球をはじめとした多種多様な免疫細胞が関わったダイナミックな現象である。T細胞やマクロファージといった免疫細胞は、それぞれ特化した役割をもつように細胞分化を通じて機能的に変化し、連携を通じて生体防御の役割を担う。免疫応答のダイナミクスを理解するためには、免疫細胞が質的に変化していく様子を捉えるだけではなく、細胞分化に関わる遺伝子発現から細胞集団レベルでの相互作用に至るまで、マルチな階層での現象を統合して記述する枠組みが必要となる。本研究では、実験をベースにした免疫応答を記述する数理モデルの開発を行い、免疫応答のダイナミクスを捉えるための数理科学的方法の整備を目指す。実験研究者との連携、予測や制御を可能にする数理科学手法とのリンク、生体防御に対する理論研究を通じて、将来的には免疫療法に応用可能な数理科学の基盤技術発展に貢献することが目標である。

数理生物学・生物数学

数理生物学とは、生命現象を微分方程式や確率過程、アルゴリズムといった数理的手法によって定式化し、解析・シミュレーションや理論的考察を通じて、対象とする生命現象の理解を目指す分野です。一方、生物数学とは、生命現象を記述した数理モデルや数学的道具立ての理解を狙いとし、新しい解析手法の開発や、方程式の構造を理解して生命現象を機械論的に説明することを目指す分野です。生命現象を理論的に説明する側面を重視する場合、方程式の解析を重視する場合で取り扱う方法論等は異なりますが、いずれの場合も「生命現象に照らし合わせて解釈すること」、「実証研究とのリンク」を心がけて進めています。

資源競争とディレイドフィードバック

研究開始初期から、生命現象に現れる資源競争と、ディレイドフィードバック機構に興味をもって研究している (学位論文邦題:生物システムに現れる資源競争とディレイドフィードバック機構の数理的研究)。資源をめぐる競争は自然界で数多く観察されており、資源が限られている場合には種内間もしくは同じ資源を利用する他種との間で競争が生じる。このような資源競争は、生態系で多く観察されており、数多くの実験や理論的考察、数理モデルが提案されている。また、個体数変化を記述した力学系モデルは一般に非線型であり、競争や捕食などの影響は、個体数密度に依存して個体数変化に影響する。このような密度依存効果として知られる影響は、しばしば時間遅れを伴って現れてきます。時間遅れを伴った密度依存効果はディレイドフィードバックとして作用し、生態系で幅広く観察されるような個体群の周期振動を生み出す機構の一つと考えられている。このようなディレイドフィードバック機構は、生態系のみならず免疫系や体内時計など生理学の分野、制御理論などにも見られる。

最適行動

生物の最適な戦略とは、取り得る可能性(戦略)の中で繁殖成功を最大にするような行動や形態の様式を表す。生物の行動や生態・形態などは、自然淘汰を主な原因として適応的に変化するもので、これまでに進化生物学や動物行動学の分野で活発に研究されてきた。動物の多くでは、個体の成長に伴って行動様式が変化する。加齢・サイズ増加といった個体の成長によって生み出される動物の社会性として、哺育行動がある。子育てなど親の保護による影響は、たとえば子供の生存確率を上昇させ、結果的には繁殖成功度を上昇させるような効果をもたらすこともある。観察技術の向上やゲノム解析導入も含めて、データが得られるようになった現在では、個体の行動特性変化も加えた個体群ダイナミクスの研究は重要性が増している。

階層間フィードバックをもつマルチスケールな生命現象に対する数理研究

疾患発症の原因は、遺伝子異常や生活習慣、環境要因など様々であるが、薬剤や治療を前提に考えた場合、必ず関与する遺伝子の働きや分子システムの挙動を把握しなければならない。一般に、ミクロのダイナミクス (分子・タンパク質) はマクロ (組織) のダイナミクスに比べて速いため、疾患の発症過程は、時空間マルチスケール性を有する力学系として表現される(大雑把に分子:時間・〜ナノメートル、細胞:日・〜マイクロメートル、組織:年・〜メートル)。疾患の統合的理解や発症を予測する上で、マルチスケール性を統合的に表現できる数理モデル研究に期待が寄せられているが、生命医科学特有の課題も考慮した数理研究は、未だ発展途上である。

時間的なマルチスケール性を考慮する上で、通常良くとられる手法は、「速いダイナミクス」が「遅いダイナミクス」の特徴的な時間スケール経過までに定常状態に達していると仮定して近似的に処理する手法、いわゆる準定常状態近似が用いられる。速いダイナミクスは遅いダイナミクスのパラメーターとみなすことで、力学系の次元を低減(縮約系)させることができる。縮約系に対して分岐解析を実施することで、速いダイナミクスが遅いダイナミクスに及ぼす影響も解析可能である。

本研究課題では、従来研究であまり研究されていない側面、すなわち階層フィードバックの存在を考慮した系を対象とする。多くの生命現象において、ダイナミクスの時間スケールに大きな差があるにもかかわらず、速いダイナミクスが遅いダイナミクスの影響によって質的に変化し、結果的に遅いダイナミクスの定性的振る舞いが変化するような現象が見られる。アリ1匹1匹のフェロモン分泌 (ミクロの意思決定行動) によって、餌場に向かう行列 (マクロの集団行動) が形成される。フェロモン濃度が高い部分にアリが集まって更なるフェロモンを分泌するポジティブフィードバックによって、マクロの集団行動は規定されるが、同時にマクロ動態(環境中のフェロモン量)がアリのミクロ動態を規定している。このようなミクロマクロ間の相互作用(階層フィードバック)は、様々な生命現象に内在する機構であると考えられる。独自の研究テーマとして、創傷と治癒過程に注目して数理モデル構築・解析・シミュレーションを行っている。また、共同研究としてウィルス感染の体内マルチスケール現象も対象にして研究を進めている。

[関連する発表論文]

Under construction.

[関連する研究資金]

日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(C) 期間: 2016-2019 年度 研究課題名:"階層フィードバックを考慮したマルチスケール数理モデルと疾患力学系の解析" (課題番号 16K05265).

ブリコラージュシステム生物学 --システム創生の数理研究--

ブリコラージュとは、寄せ集めて創るという意味をもつ。構造主義の提唱者であるレヴィ・ストロースは、その著書の中で二種類の知性を区別した。ひとつは設計図に基づいてモノを構築するエンジニアリングの思考による知性、もう一つは、既に存在するモノを寄せ集めたときに新しい機能や意味をもったモノを作り出す思考による知性である。後者をブリコラージュと呼び、エンジニアリングの思考と区別した。

栄養共生関係を例にとる。ある難分解性有機物の分解には、複数の酵素が必要となる。全ての酵素をもつ種が単独で資化するのではなく、複数種が補完しあって有機物を資化する関係を、栄養共生関係という。栄養共生関係は、代謝を部分的に分担可能 (酵素を有する) な微生物が寄せ集まって、群集として完全代謝が実現した結果とみることもできる。更に言い換えれば、栄養共生関係は「組み合わせ創発」によって付与されたと解釈することもできる。寄せ集めによる群集機能の創発は、栄養共生関係に限らずバイオフィルム形成など他にも存在すると考えられるが、群集機能創出に共通するコンセプトとして体系的に調べた研究は少ない。

本研究では組み合わせ創発に注目し、組み合わせ創発が生物群集の多様性や生態系機能の維持にはたす可能性について考察する。組み合わせ創発には、先住種の存在と影響が無視できない。先住種によるニッチ専有 (早い者勝ち) やニッチ改変は、歴史的偶発性 (historical contingency) として、群集生態学の分野で研究・野外観察の報告がある。歴史的偶発性に着目し、組み合わせ創発によって維持されているかもしれない生態系サービスはどのようなものかを数理的に明らかにするのが本研究の大目標である。

組み合わせ創発の検証・実証には、人工生態系を用いたボトムアップ型の実験、もしくは抗生物質投与など撹乱によって細菌叢を初期化する摂動が適している。本講演では、人工の微生物生態系構築実験と共同で進めている進めている研究 (前者)、および抗生物質投与後の腸内細菌叢破綻 (dysbiosis) によって生じる clostridium difficile 感染や潰瘍性大腸炎に対する研究 (後者) について紹介する。

[関連する発表論文]

Under construction.

[関連する研究資金]

日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(C)(特設分野研究 期間: 2015-2017 年度 研究課題名:"出芽酵母の人工進化系構築 ―生命の適応的機能創出をデザインする―" (課題番号 15KT0147).

生態系規範工学 (エコミクス・エコミメティクス)

次世代シーケンサーの発達によって、遺伝子配列や発現情報、エピジェネティックな制御に関する情報が網羅的に習得可能になってきた。メタゲノム解析もしくはCOG (Cluster of Orthologous Genes) 解析によって、今日では環境中に存在する微生物群集の種構成や、群集が有する機能に関する情報も取得可能である。これまでにも食物網や種多様性、生態系サービスの維持など生物群集に関する理論研究は存在するが、データの取得は常に課題であった。また、環境中に存在する群集のオミックスデータでは対照群が存在しないため、比較による群集機能の解析が難しい。遺伝子操作技術をベースにした群集の長期共培養系を人工的に構築することで、異なる環境ストレスにさらされた場合の群集機能の変化を網羅的に比較可能となると期待される。また、複数の仮説を検証する上で、理論研究が手がかりを与えることも期待される。メタゲノムなどオミックス情報をベースに発展している「データ駆動型の研究」を「つなぐ」上で、人工生態系とその理論が果たし得る役割について概説する。また、長期培養・遺伝子操作技術、網羅的なオミックス情報を人工生態系に統合してシステムを理解する「エコミクス (ecomics) 研究」、更には発展形として、自然生態系からエッセンスを抜き出し人工生態系を模倣して作る「エコミメティクス (ecomimetics) 研究」へつなげていく上で必要な取り組みについて研究しています。

[関連する発表論文]

Under construction.

[関連する研究資金]

科学技術振興機構 (JST) さきがけ (領域名:社会的課題の解決に向けた数学と諸分野の協働) 期間:2016年12月〜2020年3月 研究課題名:”構成要素の多様性が変化する系の数学理論構築と細菌群集の関わる疾患制御への応用” (課題番号 12907).